彼方の空 参
蝉の声が聴こえる。
目を開けると見慣れた天井が広がっている。
「・・・あつ」
起き上がると全身ジワリと汗が滲んでいた。
着ていたTシャツを脱ぎ捨てながらカーテンを開ける。
朝日が容赦なく照りつけてくる。今日も一日熱いだろうな。
「こーきー、起きてるの~?」
階下からの母さんの声に不図時計を見やると11時過ぎだった。
「ちょい寝すぎたな」
再び母さんの声が響き適当に返事をすると“お腹空いたよ~”と甘えた声が返ってきた。
箪笥からタンクトップを取り出し着込みながら足早に階段を下りた。
「コーキ休みだからっていつまで寝てるのよ~、もう」
「良いだろ?偶の休みぐらい。それに昨日の夕飯の残りあっただろう?」
「あれは朝食べちゃったんだもん」
母さんは電車で20分の所の宝石店で働いている。それでか中学に入った頃から誕生日と特別な祝いの時は平気で云十万のリングやネックレスをプレゼントしてくる。
正直怖くて身に付けられないでクローゼットの奥に仕舞い込んでいる。
その事でこの間母さんが酷くショックを受けていたけど、どうも気が引けるんだよな。
「今日はやけに早起きだったみたいだな」
「うん。だって今日光輝休みでしょ?お昼ご飯が楽しみで寝てられなかったの♡」
「ソウデスカ」
わざとらしい溜め息をつくと母さんは眉をしかめた。
何でこんな息子の俺に甘えたがるのかは母さんの生い立ちに在るのだと以前父さんが言っていた。
母さんの実家は旧家らしく色々厳しかったみたいだ。習い事の量が半端なかったと電話口で父さんが大笑いしていたのを覚えている。
でもその多くの習い事の中で1つだけ夢中になれる事があったみたいだ。
それが
「こーちゃんなんだか最近生意気~廻し打ち決めちゃうぞ~」
空手だ。
小中高で黒帯の有段者、それぞれで全国大会に出て3位内に入っていたそうだ。
「決めても良いけど、1週間俺は飯を作れなくなります。それでもいいならどうぞ」
「う~っ、やっぱり生意気~」
“きー”と歯を食いしばっている母さんを見て笑ってると、それを見た母さんも笑った。
 今日の昼食は母さんのリクエストにより蟹玉チャーハン。
「ねぇ、こうちゃん」
「何?」
蓮華いっぱいのチャーハンを頬張りながら俺の名前を呼ぶ母さんに“ご飯粒ついてる”と指摘する。
「もう彼女出来た?」
「は?!」
「だって光輝は人当たりいいから友達はすぐ出来るかもしれないけど、異性に対しては引っ込み思案じゃない?」
さすが母親。よく知ってるじゃないか。
確かにまだ彼女どころか可愛いと思う子も見つけていない。何故だろうな。
「別に良いんだけどね、あたしだけに心許してるみたいで優越感だから♡」
「・・・まだ入学して4ヶ月だよ?無理だろ」
「あら、パパと付き合いだしたのは1ヶ月よ?」
あんた等と一緒にしないでくれ。
俺が言うのもなんだが、両親は学生カップルのようにラブラブだ。父さんの単身赴任が決まった時はすごく大変な思いをした記憶が在る。一度倦怠期を作ったほうが良いよ。
「ていうか、まだいらないし」
「え~?そうなの?」
「そうなんです、ご馳走様!」
何か胸の奥に引っかかるものが出来てしまった。母め、狙っていたのか?
食器をシンクに置き去り、ソファに座り込んでテレビのスイッチを入れると
『今日は今月に入っての最高気温の真夏日になっております』
げ、嫌なこと聞いた。
『今私が来ている場所は先月オープンしたばかりの屋内温水プール、上条プールリゾートさんです』
ああ~なんか聞いたことあるぞ。ここらでは最大らしーな。
『ご覧下さい!涼を求めてきた人たちでもの凄い混雑です!』
うわ~ぜってー行きたくない。
「すごい人だかりだね~」
そういう母さんの表情はもの凄く分かりやすかった。
「行かないからね」
「ええ~!?どうーしてぇ?!」
「どうしてもこうしても無いだろっ?午後から仕事の癖に」
「そうだけど~」
『ココのパーラー“カラフル”さんの苺パフェは絶品と色々な雑誌に載っていますのでご存知の方も多いんじゃないでしょうか』
あ、おいしそう・・・。
「おいしそうだね!苺パフェ」
「・・・うん」
「こうちゃん苺好きだもんね♡」
まぁね。てか、マジうまそー。
『ん~っ、すごく美味しいです!』
だろうな。
『パフェの層なんですが下からコーンフレーク・苺のババロア・クリーム苺ソース・フレッシュ苺に上から之でもかってほど濃厚なバニラアイスが積まれていて、苺もふんだんに盛られています!!』
暫らくテレビに釘付けになっていた俺の肩に手が置かれ、頬にキスを落とされる。
「行ってくるね光輝、お留守番お願いします♡」
振り返るとピチ、としたスーツを身に纏いばっちり化粧の母さんが立ってた。
相変らず早着替えだな、全然気がつかなかった。
「いってらっしゃい、行き帰り気をつけて」
軽く頬押えながらそう言うと満面の笑顔で
「うん♡」
玄関まで送ろうかと立ち上がろうとしたが
「テレビ見てて良いよ、彼女が出来た時に役立つかもよ?」
「それはもういいよ・・・」
と言いつつパフェは食べたいなぁ、なんて思ってたり・・・。
 母さんが出かけたのを見送ってまたテレビに目線を戻したけど、プールのコーナーが終わってしまっていてちょっとガッカリしていると・・・電話が鳴った。
「電話電話、と」
テレビの電源を切ってリモコンをソファに放り投げ電話まで駆けてく。
「はい、守田」
『あ!光輝? 俺、和也。ケータイ出ろよ!!』
同じクラスの神谷和也。なんか印踏んでるよね。
「あ、ごめんっどうかした?」
そう言えば部屋におきっぱだった。
『お前昨日出された宿題できてる?』
あったなぁ、そんなの。確か古文だったかな。
「あ~いや、まだ・・・」
『ええ~?!教えてもらおうと思ってたのにっ』
「ははー残念でした!」
『出来たら電話くれよ~』
「わかったよ」
そこで電話を切るとやけに家の中が静かなことに気がついた。
前から思ってた。この家、母さんと俺だけじゃ広すぎなんだよなぁ。
2LDKで十分だと思うのに5LDKって・・・。
「コンビニでも行こ・・・」
一度ちゃんと着替えようと階段を上がる。
自分の足音だけが響く。こんなに静かだと思い出してしまうあの言葉。
 
『・・・俺は、嫌われたんだ』
 
先輩はどうしてあんなことを言ったんだろう。どうしてそう思っているんだろう。
親に嫌われるなんてそう無いことだと思っていた。
けど、現実は違うのだろうか。俺は違うから勝手にそう思い込んでるだけ?
実際ニュースを見れば、親が子供を虐待したり殺したりなんてことは少なくない。その逆だってある。
テレビの中のことだけとしか受け止めてなくて、その立場にある人なんか自分の周りには居ないからと他人ごとで片付けている。これが、俺の・・・嫌だな。
汚い
「・・・俺、汚い・・・かも」
自室のドアに手を掛けたところでそう呟いた。その言葉は静寂に吸い込まれた。
俺の心は、人の心は、何も知らない人の心の内は、汚い。
急に怖くなった。
先輩のあの言葉は俺に対する拒絶だったんじゃないか?
そう思うと急に怖くなった。
先輩に拒絶されるのが怖い。
先輩に嫌われるのが怖い。
どうしよう。
―怖い。
 
俺の心の内、先輩に知られた?
 
いやいや、まだ分かんないじゃん。早とちりは止めよう。冷静になれ。
てか、何で俺こんな焦ってんの?世界中の不思議大百科に入りそうなぐらい不思議なんですけど。
取り合えずコンビニ行こうや俺。有言実行が俺のモットーだろ?
甘いものを買おう。そうだ、甘いもの。クリーム系が良いな、うん最高。
タンスから適当なジーンズとTシャツを引っ張り出して着替え携帯を掴み取り家を飛び出した。
外は思っていたよりも日差しが強く急にアイスが食べたくなった。
それでもクリーム系が棄て難いため、都合のいいアイスが無かったかと模索していた。
コンビニは家から5分ほどの距離だが今日はやけに遠く感じるな。
道の先は熱気で揺らぎ逃げ水が発生している。
残暑を入れて後1ヶ月この熱が続くと思うと絶望した。
熱い
やっとのことコンビニに着き中に入ったとたん冷気に包まれて一息ついた。
コンビニ内で流れているこの曲、前から欲しいと思ってた曲だ。
見渡すと他の客は3人だけだった。2人はドリンクコーナー、1人は弁当コーナー。
俺は一先ず雑誌をチェックしようと右に1歩踏み出す。
あ、今月号でてる。買い。
毎月買っている風景写真の雑誌。このカメラマンの取る写真は独特のレンズを使っているとかで幻想的な世界を見せる。デカイ本屋では写真のポスターが売っているぐらいには有名な人物だ。
さてと、次はアイスと思ったがお気に入りの紅茶の新フレーバーが出ている。
グレープフルーツ・・・柑橘系はパス!
テトラパックを取りかけて止めた俺は回れ右しアイスケースに手を置いた。
クリーム系クリーム系・・・クリームソーダ!!
端の方に追いやられてるそのアイスを見つけてなるべく下の方から取り出した。
レジへと向かう途中、携帯に金が残っていたか不安になり取り出し確認する。
あ、2000円も残ってた。
安心してレジに並び会計を済ましたいが外はいかんせん猛暑だ、出たくない。
でもアイスが溶けるといけないと思い渋々レジに向かった。
「お会計、1078円になります」
「携帯で」
「あ、はい・・・どうぞ」
コンビニ袋を受け取り“ありがとうございました”との店員の言葉を省みず熱帯に踏み込みすぐに後悔した。
家から出なきゃよかった。
再び揺らぐ道を遡る。
けど、俺の目は正常だろうか。俺の視線の先にとても綺麗で素敵なものが見えるんだ。
そうアレが幻でないというのなら今日家から出て正解だった。
正面からこちらに向かって来る揺らぐ人は
「先輩っ!!」
その声が届いたのかこちら気がついた。
「・・・・・守田?」
このクソ熱いのに俺を走らせるのは必然的に先輩しか居ない。
「先輩、こんな所で何してるんですか?!」
「・・・落ち着けよ、何も走ってくることないだろ」
「へへっ、なんか自然に足が」
そんな俺を見て少し呆れた表情を見せてポケットからハンカチを取り出した先輩。
「あ!いいですよっ全然」
「良いから拭け。こんな暑い日に走るなよ」
「すいません・・・先輩こそ熱くないんですか?」
改めてみた先輩の服装は高そうな黒のジーンズにCCのロゴ、クリスタルクロスの黒のタンクトップ、靴も黒のビーサンで全身真っ黒。
「?別に、暑いのは嫌いじゃないし。走らなければ平気だ」
「そうなんですか」
先輩から受け取ったハンカチで軽く汗を拭きながら、その白い肌に見とれていた。
紫外線対策ばっちりなんだろうな。
「それで先輩、こんなところで何してたんです?」
「あぁ、暇だったからこの先に在る本屋でも行こうかと思って」
「! 俺も一緒して良いですか?」
「・・・別にいいけど」
 
行き慣れたなかなか大きな本屋、でも今日はなんだか新鮮な感じだ。
それはきっと隣にいるこの人が存在してるからだ。そう言えば学校の外で先輩と一緒に居るのは初めてだ。(家なんて逆方向だし)
あれ?
「・・・先輩の家俺んちよりも3駅本屋から遠い」
「不思議か?」
「えっ?!」
俺声に出してた?!!
「・・・っすみませ」
「別に・・・誤ることじゃないだろ。・・・―前、この辺りに住んでいて」
「え!!そうだったんですか?!」
「ああ、・・・それで少しコッチに用事を済ませに来たんだ」
なんだかうかない表情だ。どうしたんだろう。
「用事・・・?」
先輩は平積みされていたハードカバーの本を手に取り眺めている。
その手が酷く凍えているような気がした。
「・・・・・墓参りだ」
本を置き去り雑誌コーナーへ向かっている先輩のあとを静かに追いかける。
誰のとは、聞きづらい。
そう思って黙り込んでいた俺をふり返り俺の持ってるコンビ二袋に目を向ける。
「・・・守田は、コンビニで何買ったんだ?」
「え?あ、えっと雑誌とア・・・・っ!アイスっっっっ!!!!
「ちょっ、お前声、でか・・・え?」
取り出したアイスは見事に液体へと変化を遂げていてアイスとは言えないほどの温度になっていた。俺のクリームソーダ・・・。オマケに雑誌もビショビショ・・・。
「馬鹿だな、何で途中で食べなかったんだ」
先輩と居ることにテンションマックスですっかり忘れてたなんて言えず。
「うう~っ」
項垂れている俺を見て小さく息を吐いた。
「そう落ち込むな、帰りに新しいの買ってやるから」
「い、いいですよ!俺が馬鹿なだけで」
顔を上げた俺にゆっくりと伸ばされた手は柔らかく頭に置かれ、遠慮がちに撫でた。
先輩の手は俺が思っていた以上に冷えていて熱を奪われた気がした。
「いいんだ、俺の用事に付き合ってもらった礼だ」
「え?いやっ、これは俺が勝手について来た様なもので・・・」
出会って3日目に思った。
この人は優しすぎると。
だから俺は不安になった。
この優しい人が誰にも知らずに、記憶もろ共消えてしまうんじゃないかと。
今ココに在るささやかな温もりさえも。
「欲しい本が見当たらない・・・。店員に聞いて」
「先輩っ!」
「・・・どうした?」
俺は
「あの・・・っ」
この人を
「・・・そのっ、お、俺とっ」
この優しい人を、だた
「? なんだ?」
「・・・っ!俺と!!」

 
護りたいだけなんだっっ!!!
 
俺と一緒にプール行きませんかっ?!!
「・・・・・・・・・・は?」
 
きっと俺の選択は間違ってなかった。
 
ハズだ。たぶん。・・・いや、絶対。
そう思いたい・・・         

 

 

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