雨を待つ少年
―雨を待つ少年―
 
 
 
 いつだったかまだ俺が小さい存在でしかなかった頃。
俺の唯一大切に思っていた人がこう言った
「 雨は全てを洗い流すんだよ 」
その言葉は俺が今現在を生きるまでずっと心に残っている言葉だ。
不思議と勇気付けてくれる言葉だと俺は解釈している。
と言うのも実際その言葉のお陰で俗に言うハッピーエンドを迎えられたのだから、そう思わざるを得ないのだ。
そして、その言葉を聞いてからと言うもの(例えあの人が居なくなった事実があろうとも)俺は
 
 
雨を待つようになった。
 
 
 
 
 俺のクラスには若干不登校の生徒が1人居る。名前は堀元 一夜(ほりもと かずや)。
因みに俺の前の席だ。女子に人気だし、勉強も出来てるし、運動もまぁまぁだろ。
「今日堀元君はお休みです」
出席を取ろうと帳簿開こうとした担任教師がそう漏らしたのを聞いて女子達が騒ぎ始めている。“やっぱり、休みなの?!”“え~”“うっそ~!ちょう残念!”。
担任も女子達も恐らくこの学校の全員も地域の住人さえ知らないだろうが俺は気付いてる。
あいつ、堀元一夜(16)は
 
雨の日だけ学校を休むのだ。
 
 
前々から気にはなっていたんだ。(身体が弱そうとは見えなかったから)何故だろうと。
そして考えてるうちに1つの共通点が浮き上がったのだ。
だが、それが分かったところで謎は深まるばかりだった
“なんで雨の日だけ?”
“理由は何?”
“何の意味がある?”
まぁ、それらはきっと本人にしか分からないのだろうと俺は諦めている(人間諦めが肝心だからな)。
そこで俺はあるひとつのことを考え付いた。
本人にしか分からないのなら本人に聞けば良いのだ。
だから俺は、雨の日の放課後に堀元一夜(16)を探すことを日程に組み込んだ。
けれど、何処をどう探しても見つからないのが現実だ。
「決まった場所には居ないのか・・・?」
 
堀元一夜(16)の事情に気づいた時1度だけ聞いた事がある。
 
「何で雨の日だけ休むんだ?なんか理由が在るんだろ?」
一瞬瞳が見開いたのを俺は見逃さなかった。
「・・・・別に、雨の日は体調を崩すだけだ」
そして、そう言ったあいつの表情は悲しみや寂しさに降られているのも俺は見逃さなかった。見逃せなかった。
 
その日は突然にやってきた。
 
青葉が多い茂る木々の影に堀元一夜(16)は佇んでいた。
まだ降り始めの雨の匂いが漂うその場所は彼だけのものになっていて1歩すら踏み込めないで居た俺に気がついたのだろう、ゆっくりとこっちに視線が向く。
「・・・浅田?」
その瞳は雨雲の上にあるであろう快晴の空色に見えた。
湿気に少し跳ねている髪に手櫛を通すと堀元一夜(16)は青い蝶が舞い散る白の傘を1回くるりと廻し雨水を落とした。
「何してるんだ、こんな所で。お前の家コッチ方向じゃないだろ」
「・・・堀元もだろ」
俺の言葉に口を噤み何も言わなくなってしまった。
未だに距離を置いたまま動かない俺が気になったのか
「俺になにか用なの?」
「あぁ」
「学校ズル休みして何してるの、とか?」
「あぁ」
「ウソをついてまで何を隠してるの、とか?」
「・・・あぁ」
全部、分かっているんじゃないか。
ならさぁ、答えてくれ。どうしてだ?
「答えは全部同じだよ」
「何だ?」
本当に言って良いの?と表情が言っているのが感じられた。
俺は分かるか分からないかぐらいの頷きをした。それに気付いて口を開いた堀元一夜(16)の口元は微かに上がっていたような気がする。
「お前には関係ないからだよ 浅田」
予想範囲内の答えだな、と思い空気が抜けたような笑いを漏らして先ほどとは違い軽く歩み寄れた。
容易く堀元の隣まで辿り着いた俺は差していた傘を畳んで無理矢理有無さえ聞かず言わせず堀元の傘の中に入り込んだ。
「・・・おい、何考えてるんだ?」
「別に。なぁ!」
「・・・・、何」
意外と冷静に対処しようとする堀元は諦めも早かった(俺と一緒で)、1つ溜め息をついて聞き返しながら傘を持つ手を左へ持ち替えた。
俺がなるべく雨に打たれないようにしてくれたのだ。女だったら惚れてるぞ、堀元よ。
「いくつか聞きたいことが在るんだけど、直感で答えてくんない?」
「お前には関係ない」
「俺の発言を言う前から握り潰すの止めてよ」
又1つ溜め息を漏らす堀元を無視して俺は質問を投げかけた。
「好きな漢字は何?」
「雨」
「好きな英単語は?」
「rain」
「好きなお菓子は?」
「飴」
「堀元って何で雨が好きなの?」
「・・・お前には関係ない」
あれ、誘導尋問作戦は失敗か。やっぱり頭が良いな。
“う~ん”と唸る俺を見て癖のように溜め息を漏らした。
「何故そんなに知りたがるんだ?」
「別に。ただ・・・純粋な疑問。嫌われがちな雨に何でわざわざ学校休んでまで打たれてるんだろうって」
「・・・・」
少し険しい表情になってしまったな。ん~。
「・・・俺、昔ね野良猫を追いかけたことがあったんだ」
「は?」
「まぁ、聞いてよ。その猫野良の癖にすごく綺麗な猫でどうしても欲しいって思ってずっと追いかけてたんだ、もうその猫以外何も見えてなかった。でさ、あと少しで捕まえられるって感じて飛び込んだわけ、そしたら目の前田んぼだったんだよね~。もうびっくり~。猫は無事捕まえられたけど、全身泥だらけでさ~。怒られた怒られた
“中学生にもなって何やってるのっ!!”てね」
「! クッ、・・・アハハハハッ」
1度は堪えたが堪えきれずに噴出して笑う堀元のその表情に俺は素直に嬉しくなってこれまでの企みが何処かに吹っ飛んでしまった。
「あは、お前ッ。中学生でそんな馬鹿、な事ハハハハっ」
どうやらツボってしまったらしい。涙目になってる。
こんな姿見たのきっと家族以外で俺だけだろうなぁ。
「笑いすぎ~」
 やっと笑い終わったようで息を整えながら俺に向かって堀元は言った。
「浅田、悪いが。そんな面白い昔話を暴露してもお前に話すことは1つもないぞ」
思ってもなかったタイミングですごく綺麗な笑顔を向けるもんだから言葉を詰まらせた。
「・・・・・浅田?」
「え。あぁ、いや何でもない。ただ、そんなに知られたくないことなんだなぁと」
「・・・そんなんじゃない、けど。」
風がそよいだ。その時不図気がついた、さっきまで感じていた雨の匂いがなくなっているのに。けれども降り続けている雨は静かに周りの音を掻き消していった。
俺たちの声や鼓動の音さえも。
「聞いても、詰まらないから」
「・・・堀元。それを決めるのは、俺だ」
さっきより心なしか雨が強くなったような気がする。
気のせいであって欲しい。
これ以上、俺たちの音を掻き消して欲しくない。
「・・・・・あぁ、そうだな」
 
6年前のことだ。
両親と3人暮らしで普通に暮らしていた。普通に幸せだった。普通に満足していた。
でも俺の心の中ではどこかその“家族”というカテゴリーから自身は外れていると感じていたんだ。それに気づいた時とても寂しくなった。
そんな時期だったような気がする。その人に会ったのは。
「初めまして、高坂 杜也です」
父の会社の部下だと言って梅雨の終わり夏の初めに俺の前にやってきた。
天真爛漫でドコかピーター・パンを思わせる人物だった。その所為か俺はその人から離れられなくなっていた。
下手に学校の友達と遊ぶより楽しいと感じていたからだ。
でも、それだけじゃなかった。
その人は、杜也さんは、俺の欲しい言葉や思いをくれた。
「カズはどうして友達と遊ばないの?」
「今、遊んでる」
綺麗な指がゆっくりトランプを1枚捲る。それを見ながら独り言のよう言った。
「確かに。でも、学校の友達は?」
「・・・知らない」
4のペアカードが捨てられる。
「それは遊ばない理由?それとも、友達?」
杜也さんは俺の欲しい言葉をくれる。
どんなにつらい言葉でも、俺は言って欲しかった。どんな時でも、両親から。
「・・・・・」
「それじゃぁ、次回までの宿題にしようか。学校の友達と遊ぶ約束をしてくること、あがり!」
「え?!うそっもう?! ズルだ!!」
「ズルじゃないよ~」
そんな毎日がただただ流れていくだけだった。でも、いろんな事が色づいていった。
ある日、いつもはちゃんと前もって連絡をしてからうちに来るのに何もないまま杜也さんはやってきた。父がすごく驚いていたのを憶えている。
「一夜くんに挨拶しておきたいんです」
「・・・・そうか、一夜おいで」
父に呼ばれ杜也さんの差し伸ばされた手をとった。
「カズ、ほんの少しだけ君の時間を僕にくれないかな」
「いくらでもあげるよ、杜也さんになら」
笑って握られた手に少しだけ力を込めた。冷え切ったその手は死人のようだった。
「ありがとう」
 
硬く手を繋ぎ、いつも歩いている散歩道を黙ったまま歩いている。
(杜也さん顔色真っ白。風邪なのかな、大丈夫かな)
さっきまで力なく握られた手が急に痛いぐらいに強く握られた。
「カズ」
いつもの優しい微笑だった。
手を決して離さないまま近くの塀に座り込んだ杜也さんに続いて座る。
「ぼくね、そう言えばって思ったんだ」
「なに?」
又ふわり、と微笑んで空を煽いだ。
「そう言えば、カズに僕の一番好きなもの教えてないなぁって」
「一番好きなもの?なに?」
強い風が吹いた。
鼻をくすぐる杜也さんの太陽の匂い、でもその日だけ少し薬の匂いがしたのは気のせいじゃなかったけど、その時は気付かなかった。
「 雨だよ 」
「あめ?空から降ってくるやつ?」
「そう。雨はね、全てを洗い流してくれるんだよ」
「洗い流す?」
「そう悲しみも辛さも、憎しみも絶望さえも」
「苦しいのも?」
「そうだね、時には流してくれるかもしれない」
「すごいやっ」
手の力がほんの少し抜ける。
「でも、気をつけなくてはいけないよ」
「なにを?」
「雨は嫌なものだけを流してくれるとは限らない。楽しいことや嬉しいこと、幸せさえも流してしまうときが在る」
「そんなっ」
「だから一夜、そうならない様に大事なものを護れる様に強くなるんだよ」
「うん!おれ、強くなるっ」
俺の言葉に安心したように1つゆっくりと頷いて頭を撫でてくれた。
今思えば、それがその人の最後の言葉だった。
次の日父から告げられた言葉に世界が一変した。
「杜也君はもう来られなくなった」
「!!どうしてっ?!」
「外国へ行ったんだ、もう・・・帰ってこない」
「やだっ!」
「一夜、聞き分けよくしてくれ」
「やだっ絶対やだ!!」
涙が止まらなかった。何よりも傍に居たかった存在だったのに、どうして黙って行ってしまったのか。もう会えない、もう声も聞けないし触れることも出来ない。
ただ、悲しくて淋しくて溺れそうだった。
 
「そしていつの間にか俺は雨を待つようになっていた」
霧雨に変わってしまった雨には最早傘は意味を成さなかった。
「いつの日か杜也さんがこの雨に流されて俺の所に流れ付くんじゃないかって、そう思ったら居ても立っても居られなくなって・・・」
壊れそうな表情をしている堀元の横顔をのぞき見て、俺は意を決して聞いてみた。
「今、その人は?」
俺の言葉にただただ静かに、淋しそうに微笑むだけだった。
どこかで夢を見ていた。どうせ大した理由は無いんだろうと。
でも、実際は途轍もなく大切で重量オーバーなものだった。
堀元が本当に心に抱えてるものはきっと俺には計り知れないものだ。
けれど、その人が言ったように堀元が強くなれているのなら幾分かマシなんじゃないだろうか。などと勝手な言い分を考えていた。
「なぁ、俺も雨の日お前と一緒に居て良いか?」
その言葉に俯きがちだった堀元は俺のほうを見た。
「・・・は?」
「まぁ、俺の家厳しいから休んでまでは無理だけど、放課後なら大丈夫だし」
「・・・なんで?」
「別に、お前と一緒に雨を待ってみたくなったから」
堀もとの傘から抜け出し空を煽いでクルリ、と廻った。
「その人が言いたかったのって人生の教訓だろ?世の中良い事ばかりじゃないとか、色んなものに頼りすぎないで努力することを覚えろとかさ。でも、今言った事が世界の全てじゃないんだからよく周りを見渡してごらん、とかさ」
睫に霧雨が積もり重くなって目を瞑って首を振った。その時見逃してしまったけど、きっと堀元は笑っていたと思う。
歩み寄って俺に傘を差しかけた。その瞬間は見逃さなかった。
「お前って本当に馬鹿だな」
何時の間にか薄くなっていた雨雲から漏れ出した日の光りに輝くその微笑みは、逆光でしっかりとは見取れなかった。
 
 
 
 
俺は秘かに願っている。
いつかの雨の日、堀元 一夜(16)にとってその日が待つ日ではなく
迎えに行く日になる事を。
 
それまで俺はお前の左隣を僅かだけも暖める太陽にでもなってやるさ。
 
 
 
 
 
=END=
 
 
 
2010.06.19/土/AM02:04

修正 2010.06.19//PM0645